お正月の理想はあきらめるべきか
お正月
私が育った家では、朝、家族がそろってお雑煮とおせちを食べることになっていた
普段はみんなバラバラで、というか、父母は一緒に食べているけど、私はその時間には起きられないとか、早く家を出るとかで、一緒に朝食をとることはめったになかった
けれど、三が日だけは、実家にいる限りは、揃って朝食をとるのが決まりだった
8時までに支度をして、席につけるようにすること
堅苦しい年始の挨拶などはなく、さぁできたできた食べようという感じで始まり、食事中も今年の抱負を述べあったりするわけでもなく、テレビもついているし
それでも揃って食事をし、
元旦は食後にお年玉をもらい(けっこういい年になってももらっていた)、
一服したところで初詣でへ行く
これがお正月のルーティンだった
スキーなどに出かけて不在にした年もあるけれど、元旦の朝食は家族でお雑煮とおせちを食べないと縁起が悪い気がして、必ず在宅するようにしていた
だから、結婚してできた新しい家族とも、お正月くらいはきちんと揃って楽しく朝食をとりたい
というか、とるものだと思っていたのだけど、
夫は全然そうは思っていないようで
自分の起きたい時間に起き、食べたいものを食べる
妻と子もどうぞご自由に
といった風
お正月に限った話ではなく
今年の元旦も、私と子の食事が整い、夫起きないなぁ悲しいねぇでも食べるか となったところで起きてきた
ただでさえ1歳児と食事をするのは大変なのだ
家にいるなら一緒にやってほしい
それが「おれの朝食は自分でやるから気にしないでいいよその方が楽でしょ」と
…
そんな人に、お正月の朝は揃ってお雑煮とおせちを食べようなんて発想があるわけないよね
価値観が違いすぎるのだよ
私が
お正月は家族揃ってお雑煮とおせちを食べるのはあきらめる
とすれば、丸くおさまるのだろう
しかし、長年の習慣、価値観をいきなりぐいっと曲げるのは難しく
元旦からムスメにイヤな思いをさせてしまい
お正月早々、怒りと悲しみとやるせなさとでげんなりしたのでした
元旦だからってお雑煮やおせちを食べたい気分とは限らないのは分からなくもないし(本音は一緒にお雑煮とおせちを食べたいし、お正月に向けてお雑煮とおせち気分を高めておいてほしい)、
それぞれ好きなものを食べるでいいのかなと
でもせめて揃って朝食をとるようにしたいのだけど、
その考え方もおかしいのか?
価値観が違いすぎる人と一緒に暮らすことにした私の自己責任か…
と、お正月早々暗い気持ちに
けどそんなのふり払って今年はいい年にするのだ!
Happy New Year !!!